2003.07.15 up

脳深部刺激術(DBS)の体験記のトップへ

フランスから
もう一つの見方(自由への最後の賭け)
Surgery, Another View
エイブ リーバーマン
Abe Lieberman /著

英フィナンシャル・タイムズのホールマン記者の『脳の音を聞きながら』のなかで、同じくフィナンシャル・タイムズの記者であるミケラさんという記者が登場しましたが、そのミケラさんが、英ガーディアン紙にホールマン記者の手術の様子を書かれました。
その記事が米国パーキンソン財団医局長リーバーマン医師の解説つきで米国パーキンソン財団のサイトに紹介されました。
以下の情報は,National Parkinson Foundation
A href=http://www.parkinson.org/anotherview.htm からのものです。

 ここに掲載する記事が世界の主要新聞の一つであるガーディアン紙に掲載されました。この記事は同じく世界の主要経済新聞であるフィナンシャル・タイムズの記者のミケラ・ロングによってかかれたものです。ミケラは脳深部刺激術を考案したベナビッド教授が、フィナンシャル・タイムズのもう一人の記者で、パーキンソン病のマイケル・ホールマンに行った脳深部刺激術について記事を書きました。
 よく書かれた記事で、ドラマチックな結果が描かれています。すべての手術がこのような素晴らしい結果になるわけではありません。手術に適した患者を正しく選ぶことと、外科医の腕が重要な成功の鍵となります。他にも同じくらい優れた腕の神経科医と神経外科医がいますが、グルノーブルの神経科医のポーラック医師と神経外科医のベナビッド医師の腕はひときわ優れています。ミケラの取材した手術は11時間かかっています。これは安全で確かな方法で手術するためのベナビッド教授の経験に基づいたものです。もっと短い時間で 安全に手術をしている外科医もいるので、グルノーブルチームの手術のように,どうしてここまで詳しく脳をモニターに写し出して、ターゲットを探す必要があるのかが、今まさに議論されているところです。さらにもっとくわしくモニターで観測すればより正確な手術ができるかもしれないということもありますが、さらに探針をすすめてモニターに写し出すと手術の危険性が高くなるということもありえます。


英ガーディアン紙 URL=http://www.guardian.co.uk
★ 2001.09.06 作成 ★
2001年3月31日 英ガーディアン紙 には
「Last Bid for Freedom(自由への最後の賭け)」
というタイトルで掲載されました。

Deep Brain Stimulation Another View
脳深部刺激術、もう一つの見方

著者:ミケラ・ロング
  Michela Wrong

 神経外科医がコントロールパネルからはなれると、一瞬シーンとなった、すると不思議な音楽が手術室に響き渡った。川が山の谷間を流れ落ちる音、岩の上を白い泡となってぶつかり合い、冷たい緑色の水溜まりに滝となって落ちる音。というか、そのように聞こえたのだ。実際人間の経験のなかでもっとも神秘的なもの(人間の本質にせまるもの)、セックスや子供の誕生よりも神秘的なものと確かに思われるものの一つに、私たちは立ちあっていた。彼の頭の中、彼の脳の奥深く入り込んでいく電極によってキャッチされるその電気活動の音を聞いていた。

疲れを知らない、終わることのない、力があふれて泡となった、自然の力のような音だった。しかしその印象とは裏腹に、少なくとも16年の間、マイケル・ホールマンの脳は他の人と同じようには働かなかった。そのために私たちは先月、マイケルの脳の奏でる音を聞きながら、グルノーブル大学病院の一室に、白いマスクをして、青いガウンをきて、誰が誰か分からないようないでたちで集まったのだった。

30代の後半、マイケルはパーキンソン病と診断された。身体を動かすための脳の命令を神経と筋肉に伝える、ドーパミンという物質が脳の中で次第に作られなくなっていく病気だ。イギリスでパーキンソン病で苦しむ12万人の人と同じように、長い間、彼は、1960年代に開発された、ドーパミンの代用として働く奇跡の薬、レポドバを飲んで何とか普通に近い生活ができていた。

マイケルがレポドパを飲むのをみていて『ジキル博士とハイド氏』の変貌を目の前にしたような気持になる。ある時は、彼は、百歳の老人のように見え、自分でどうしようもできずに震え、歩くとすり足になり、全く無防備な弱々しい姿になる。数分後薬が効いてくると、彼はしゃきっとして、昔のダイナミックで、ユーモアがあり、恐いほど鋭い彼に戻る。一瞬にして、病気から解放されるのだ。

65歳以上の成人の100人に1人がかかっているパーキンソン病では死ぬことはない。ほとんどの場合知的機能もおかされない。しかし生活が破壊される。長くレポドパを飲むほどレポドバの効果は弱くなっていく。ジスキネジアと呼ばれる身をくねくねする動きなどの副作用がでてきて、足は痙攣発作のようにキックし、頭の動きは狂牛病にかかった牛のようだ。昨年にはOffの時間がOnの時間より長くなってマイケルは震えながら椅子に張り付いていることが多くなってきた。ジキル博士は影をひそめ、、ハイド氏が優勢になってきた。

フィナンシャル・タイムズのアフリカ編集主任という職を早期退職せざるを得ない状態になった。自分の震えで朝早くに目が覚める。マイケルは夜、途中で目がさめずにぐっすりと眠れることを夢見た。私は彼を外出させないように言いくるめたが、外出しないことが解決にはならなかった。食事を一緒にする相手が椅子から動くことができず、食べ物をフォークで口に運ぶ時にはかならず壁にはじきとばすの見るのはそんなにいい気持ちのものではない。映画に行くと、私は彼の薬が切れる瞬間が分かった。ゆるやかな震えがエスカレートして、シートの列ごと、面舵いっぱいに、全速力で揺らし始めるのだ。『近いうちに、彼がみだらな行為をしていると誰かが訴えて、一騒動になるかもしれない』とよく恐れたものだ。

彼が酔っ払っているのではないかと勝手に決めて他人は彼を見る。その他人の目に悩まされ、このようなトラブルを避けるというだけの理由で次第にマイケルは家から出なくなっていった。本を持っていることさえ努力を要することになり、生活の場はリビングルームとテレビのスクリーンに限られてきていた。

もう時間がなかった。何も有効な策はなかった。ドーパミンを作り出すという希望から患者の脳に移殖されたヒト胚性幹細胞にはおおいにわくわくした。しかし、今月の初め、コロンビア大学の研究はこれによって治療された患者の15%は、幹細胞がドーパミンを作りすぎて患者にコントロールのできないジスキネジアを起こすと発表し、世界中の100万人の患者の希望が破れた。

もう一つの方法は定位術であった。50年代に数人の医師が、脳幹神経節(basal ganglia)すなわち視床下部の一部を破壊するとパーキンソン病の多くの症状が軽減することを発見した。しかしマイケルの主治医は熱心にこれに反対した。一旦破壊術を行うと、その部位の脳細胞は永久に消滅してしまい、将来の再生の可能性が全くなくなってしまうからだった。

まさに将来的に問題のある方法しかないと思われた時、マイケルはかわりとなリうる革新的な手術についてうわさを聞き始めていた。詳しいことを確かめるのは非常にむつかしかった。しかし、とにかく私たちは神経外科医のアリ・ルイ・ベナビットと神経科医のピエール・ポーラックというフランスのグルノーブル市の教授たちが、脳の奥深く,視床下部の基底核のなかに2つの電極を埋め込む完璧な技術を持っているということを知った。ペースメーカーのように胸にバッテリーを埋め込み周りの組織に低い電圧の電流を送る方法だ。まだはっきり解明されてはいないがこのような刺激がドーパミンと同じ効果を上げる。

重要なことはこの治療は大切な脳の細胞を焼き切ってしまうものではなかったので幹細胞治療が数年後に効果をあげると証明されたときマイケルも受けることができるのだ。脳深部刺激術はパーキンソン病の治療ではないと繰り返しいわれた。でもそれで主たる症状を改善出来ればそれで奇跡が起こったと言えよう。

どうしてフランスなのか?
オックスフォード、ブリストール、ダンディの脳外科医も脳深部刺激術を始めたばかりだった。しかしこの手術ではベナビット教授は彼の右に並ぶものはいない達人で、イギリスではわずか12回行なわれただけだったが、グルノーブルでは150回行なわれていた 。もしウエイティングリストに名を連ねるだけしか方法がなかったら、(ほとんどのフランス人の患者はおよそ3年間待っていた)資金はなかっただろう。これには全く驚かなかったが、マイケルは関係者に国民健康保険での手術の支払いはしないといわれていた。(フランスの公的保険制度では支払われているのに)フランスでしようと、イギリスでしようと、2万ポンドの治療費は本人の負担だった。彼の場合は寛大なフィナンシャル・タイムズが持った。

りっぱな電話、ケーブルテレビを備え付け、雪をかぶったアルプスが眺められるグルノーブル大学病院の部屋にマイケルが落ち着くと、自分達が運がよかったと実感した。グルノーブル大学病院には、ロンドンの病院で最近経験した官僚主義的無秩序、質素で、古くて、不潔なところは全くなかった。病棟には塵一つなく、スタッフは人並み以上に心配りをし、何日に処置が行われると言われればちゃんと予告されたその日に行なわれる。患者のお見舞いに来る人用に宿泊料金の安い宿泊所があり、病院の美容院には手術する人のために素敵なかつらが用意され、病院の旅行代理店では帰りのチケットを予約することができ、さらに驚いたことに病院のカフェの食事はかなり美味しかった

「心の準備はいい? 朝飯前というわけにはいかないわよ」
友人の父親の手術のようすをみたことのある友人が言った。
彼女は正しかった。だが、思ったよりは大変なことはなかった。
興奮し、父親になったばかりの新しい父親が分娩室からパンチをくらったような、ふらふらの足取りで歩くような緊張と高揚を味わうかと思っていたのだが。

手術は3段階あり、その第一の手術でマイケルは頭をそって、ちょっとイケヤ製のネジに似たような5つのボルトがきちんと並べて頭皮に打ち込まれていた。ボルトは、彼の頭の硬いメタルフレイムのなかにネジで固定され、メインとなる手術、と、マイケルの脳の構造の正確な位置付けのための事前のスキャンのあいだ、頭を動かないように保証するということだ。

2番目の手術は大手術で、歯を食いしばるようなものだった。
ネジが補強された。
20時間はなにも予定を入れないようにと注意があった。
なぜならば、前の週は別のオペでチームは朝の3時に消耗して出てきた。
彼の感覚のその時々のようすを外科医に知らせなければならないので、マイケルは意識のある状態でなければならなかった。
全身麻酔の心地よい無意識の状態ではなかったが、マイケルは痛みは感じなかった。
脳は逆にあまり感覚はなかった。

外科医の承諾を得て、マイケルに友達であるフィルム・ディレクターが手術のようすをビデオ撮影し、私が記録を取ることができないかと訊ねられた。
個人の危機を前に交渉をすることはジャーナリスムの世界ではよくある方法だ。
この要求には実用的な面があった。
パーキンソン病協会によってビデオが整理編集されれば、他の患者が、参考にして、私たちの回り道を繰り返さないですむだろう。
いずれにしてもわたしは必要なときの通訳として立ち会いたかった。
万一にもマイケルがフランス人のスタッフとのコミュニケーションに困った時のために。

手術が始まって2〜3時間は手術室から出ていた。
最初に、外科医がハイピッチのドリルを使って頭皮に穴を空けるとき、ショックをうけると警告された。
しかし、マイケルの頭の中のホワイト・ノイズが聞けるうちに中へ呼ばれた。彼の頭の片側の穴に精巧に挿入された5回の電極テストによって奏でられた音。青い服を着たオペチームの人たちが周りを動きまわり、きれいな棚にはメスが並べられた手術台の上で知っている者が横たわっているのをみると緊張した気持になるものだ。
出血はあまりなかった。そんなに多くの組織が切り取られてはいない。
フレイムの中のマイケルを見ると理学療法士に手足をマッサージをされ、元気そうで、気はしっかりしていた。

 その後の数時間でどうして手術がこんなに長くなるのか分かった。
ガレージのドアを降ろす時に使う道具のようなものを使って神経内科医がそれぞれの電極の深さを変えて、電流を流し、念入りにマイケルの反応をモニターに写し出したり、関節の硬さをみたりする。
問題の細胞にうまく当たると関節がやわらかくなり、電極が間違った場所に当たると関節が硬くなる。
マイケルは「吐き気がする」「強い電気ショックのようだった」等と言った。

毎回数分間彼の唇にかすかな震えはないか観察する。
顔の動きをコントロールする脳の部位は、ちょうど目標の部位の先だからだ。
唇の震えが行き過ぎたかどうかの大切な鍵となる。
すべての電極が試されると、オペチームは一番いい場所を決め、そこに最終的な電極を埋め込む。
すし料理人の繊細な正確さで動きながら、外科医は最初に頭皮の穴を繕い、デンタルセメントでシールをする。

最初の挿入が上手くいったとしても、2番目はもっと危険だった。
片方が固定されると、マイケルのもう片方の側ははるかに、ずっと繊細になる。
俎板の上の魚のように手術台の上でばたばた動く彼の体に電気ショックから痙攣が起こり、顔に波のようなしわが寄った。
そして11時間にわたる手術は終わりに近づいてくる。
彼が、身をくねらせ、ずるずる滑ったとき「彼はこれ以上は無理だろう」と私は思った。
しかし外科医達にとっては、万事うまくいっていた。

実にちょうど11時間で超スピーディーな手術を終わった。
マイケルは終わりが近づいたことに気づき一息ついた。
幸福感につつまれ、フランスの政治について質問する外科医と夢中になって話し出した。
そしてとうとう金属製のフレイムからボルトが外されると解放感から我を忘れて、16年間の地獄から解放してくれた人たちの手を握った。
『私を投獄した男や女達が私を自由にしてくれた』と彼は言った。
私は涙が出てしまった。
私はなにか誕生のようなもの、人生を殆どあきらめかけていた男に新しい人生を授けた瞬間をこの目で見た。

その日の夜、気持ちの高ぶっているマイケルを残して、町のブラッスリーで、ビデオ撮影をした友人と、フランス人の音響係の人とお祝いをした。
音響係りはクールにも子牛の頭を一切れオーダーして、私たち2人を驚かせた。
子牛の脳の切り身は、華々しく彼の前に置かれると、最先端の医学で一日中みていたマイケルの脳のレントゲン写真の複製そのものだった。
「ちょっとこの場にふさわしくないのでは」と、仰天して彼に言った。

もう一つ最後の手術が残っていた。皮膚の下を見えないようにはわせたワイヤーで、電極につながれているライターの大きさのバッテリーを、マイケルの鎖骨の下に取り付けるための手術だ。
マイケルは医者が薬の調節とマイケルの胸に取り付けられているマウスを、調整する数週間、サイズの大きいコンドームのように見える、クリーム色のしわの入った帽子をかぶって病院の中をうろうろした。

彼はまだちゃんとしていなかった。
まるでサメが噛み付いたようにみえる頭を自慢して、そして考え直してやめる。震えがまだ少し残っていた、そして眠気にしばしば襲われた。
しかしジスキネジアは消えた。マイケルが震えて汗をかくあのいつまで続くかわからないレポドバに反応しない時間は過去のものとなった。彼はレポドバを飲むのを完全に止め、三種類のうちの主要な2種類の薬(earlier two key drugs)を止めた。それで国民健康保険は年間に3000ポンドの節約になるだろう。障害者となる申請をして早めに退職するよりも、税金をきちんと納める納税者であるという事実は手術代は採算が取れるということだ。

退院後、マイケルは微調整のため3か月以内ににグルノーブルに行く。その時までには彼の鶏の毛のような髪は普通に生えているだろう。かれの声は既にしっかりしてきた。彼は、16年間の遅れを取り戻そうと決心したように、マシンガンのスピードで質問を浴びせる。彼は幸福を撒き散らし、彼の生きる喜びは彼を愛する者の上にしみわたる。 「ある意味では、まるで我々皆が自由になったようだ」ケニヤのオランダ人の友人が先日電話で言った。 "自由になったら"山ほどの可能性がある。再出発のチャンスを与えられて56歳のワーカホリックはどこで何を始めるのだろう。マイケルはただ単に編集局で過ごす時間を増やすのだろうか。あるいは彼は仏教に目覚めるか、リュックを背負って世界中を駆け巡るか、ピアノを習い始めるか。どんなことでもできそうだ。今のところ、彼は長い間停止していた運転免許のテストを受ける計画を立て、休日のドライブの話しをする。彼は最初にどこに行きたいだろう。勿論フランスだ。

★――オリジナル・テキストの著作権は著者とガーディアン社が所有しています――★
●原稿担当●ISO
2001.09.06 作成

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