2003.07.03up

脳深部刺激術(DBS)の体験記のトップへ

DBSを受けて by 関根宏美

私は2002年12月18日と2003年1月29日に(発信器を埋め込む手術はそれぞれ1週間後に)両側の視床下核DBSを受けました。

私は発病してから14年、現在55才になります。無動と激しく暴れるような不随意運動に苦しんでいました。日内変動が強く、オフの時には全く動くことができず、皮膚の表面および身体の捻れによる痛み(ジストニア)がありました。

現在、夜になると歩行能力は落ちはしますが、上記の2つの苦しみから解放され、治療に当たって下さった医師及び励まして下さった方々に感謝しています。

日常生活を維持するために止むを得ずのんできたインドの漢方薬服用中止による禁断症状のため、私の入院期間は手術後2ヶ月と長くなりました。

次に、私のDBSで「改善した症状」と「改善され難い症状」、「副作用」などを書きます。

<改善した症状>
* 不随意運動が消失した(メネシットが1日5錠から2錠に減ったため)。
* 皮膚表面の無動時の痛みと身体の捻れ(ジストニア)がなくなった。
* 性機能が回復(一時的か)した。
* ある程度、正常な歩行ができるようになったが、自転車に乗る能力は落ちたような気がする。

<改善され難い症状>
* 話しにくい
* 字が書きにくい(但し、円などを描くのは著しく向上した)
* よだれ
* 頻尿感、
* すくみ感(手、声の出し始め、食事のかみ始め(特に柔らかなカステラのようなものの場合)にすくみを感じる)

<手術の副作用と思われる症状>
* 視力(蛍光灯に対する眩しさ)、
* 肩の痛み(皮膚の下にリード線を通していることによる痛みで、1週間くらい続き、2回目は痛くなかった。)

◆手術を決心するまで
4年程前、病気になってから2回目の転職をして受注・梱包出荷まで管理担当していた私は仕事を続けることの限界を感じていました。歩行が難しくなり、丁寧に書こうとした文字が自分でも読めなくなり、離職を覚悟しました。
その当時、主治医に手術の方法はあるか尋ねたところ私に合う手術はないとの答でした

その直後に千葉県舞浜でアジア・パーキンソン病のシンポジウムが開かれ、EPDA(欧州パーキンソン病協会)会長のメアリ・ベーカーさんから、2週間後にオランダで開かれる欧州若年性集会に参加を勧められたのです。

その会合で私は2人のDBSを受けた患者に会ったのですが、最初に会った青年は普通の1/3の速度ながら背筋を伸ばしきちんとした姿勢で歩いていました。 
私が初めて見たDBSの満足すべき体験者でした。
もう一人は特別に手術結果がよく健康人のようでした。とても患者には見えなかったのが、1年半後ロンドンで彼の胸に触ってみて初めて彼がDBSを受けていたことを知ったのです。

その後、日本でも友の会のある女性がDBSで歩けるようになったと語り、伊豆悦子さんが元気に歩くビデオを見て勇気つけられました。またその頃、ベーカー・EPDA会長が会報で「DBSはとても効果が期待できるのでもっと若年層は積極的に受けよう」と呼びかけているのを読み、手術に挑戦することに迷いはなくなりました。

早速次の診察のとき主治医に、DBSが私に向いているならよい病院を紹介してくれるよう頼んだところ、医師は「あなたには向いているでしょう。ただし、手術部位は視床下核です」と言ってF病院・神経内科のY先生へ紹介状を書いてくれました。

◆入院と手術前の問題
F病院は原則として先ず片側を手術し、必要だと認められれば半年後にもう片方の手術の予定が組まれるという。 そうすると検査入院を加え来年夏に第二回目の手術、退院は来秋になってしまうのかと別の病院への転院も考えましたが最近の手術の好成績を知り、転院は思い留まったのです。

それよりも私が悩んだのはどの部分を刺激するかということでした。激しかったとはいえ、私の不随意運動は無動より動けるだけましであり、動けるようになるときを知らせるサインでもあったのです。私自身にとって不随意運動はそれほど辛くはなく、むしろ無動のときトイレに行けるかどうか心配する方がどれだけ辛いか分りませんでした。それで私は無動にも効果がある視床下核のDBSを受けることにしたのです。

腰痛がひどく5分も同じ姿勢を続けられないので、手術の際そのことが心配でした。Y医師は「皆そうやって乗り越えてきたんだから、できるわよ。要は必ず治すという患者さんの強い意思が持てるかどうかです。」と言われました。

時代の最先端を行く医療の分野も精神主義なんだと思いましたが、その翌日から退院まで私は毎朝富士と朝日に向い「必ず治すんだ、そしてもう一度思ったように生きるんだ」と誓ってから朝のストレッチ、筋トレを始めていました。

手術を担当した脳外科のT先生は手術をどう考えればいいかということ及び私のことを今年の5月の講演で次のように話しました。
「パーキンソン病の場合、薬物・手術治療にはその時代の流行があり、それは例えていうとオーディオ機器の開発に似ている。 初めはモノラルで満足していたがそれがステレオになり、テープの時代、CD・DVDへと進んでいったのに似ている」と。
(私は)初めからDBSの視床下核手術を買おうと決めて店に行き、店員から商品の説明があっても買う商品を変更しなかった。「普通患者は薬か手術のどちらかに詳しい場合が多いが、あなたは珍しい」と言われました。

◆手術のようす
胸に発信器を埋め込む手術は全身麻酔で、頭に電極をさすのは局部麻酔で行うところが多いが、患者の約半数は局部麻酔でも夢うつつ状態や完全に睡眠状態に陥る場合があります。
DBSの電極が脳内に挿入される場所は目の裏側になります。 そこから頭皮への最短距離をひいてみると殆ど額の生え際に当たります。ですから、手術の初めに頭皮にメスが入る時と最後に縫合する時はホールの周囲は麻酔の効きが悪くかなり痛みます。
痛いときは痛いと言った方がよいと思います。

それにしても頭を固定するために最初に麻酔薬に浸した綿を両耳に入れ、耳に固定棒を入れる。今まで経験した中で一番ひどい痛みでした。
この固定棒は頭部を本格的に4ヶ所固定するための一時的な処置で2、3分だったと思います。手術前には頭を固定する時が一番痛いとだけ聞かされていたので、この痛みがずっと続くのかと恐かった。
顔の幅の狭い女性などは固定棒で絞める幅がなくて何も痛みがない人もいるそうです。昔は綿麻酔の代わりに耳へ麻酔剤を注射したので、その痛さは綿の3倍位だったそうです。
なお端子を脳内に挿入するときは全く痛みはなく不思議な感じです。この挿入が始まる時は手術室の余分な照明をおとし、他の機器の電源もおとすので暗く、静かになっていくので、みんな昼食にでも行ってしまったのかと思うほどでした。
端子を挿入するターゲットポイントはMRI測定値を元にXYZが計算され何度か口頭での確認する先生の声が飛び交います。挿入はXY軸が固定されZ軸に向かい行われ、それはZポイントとの距離で表されます。
最初は4.5(単位はcm)位から始まりました。
端子のデータは電圧計に繋がり大型のディスプレイに映され皆で見ながら進められます。3.0辺りからガーガーと何度も音がして医師たちがその度に 「こんなところにも(神経細胞の束が)またあった」と何度も言っていました。  
距離の数値が1.2と読まれた時「昔はこんなもので満足していたんだなー」と医師の声。昔といっても1、2年前のことでしょう。
その後、数値は0.8、−(マイナス)0.5となり T医師から0.4戻すよう指示がありました。2回目の手術のときは1回目ほどど真ん中ではなく使った神経叢(しんけいそう)は2ヶ所(3.2と2.8)でした。尚、各大きな神経叢は挿入時に患者の協力で症状の変化を確認していくのですが、どの叢(そう)にするか決定してからは再確認はされず一気に終了に向います。

◆気がついたこと
1.痛み止め用座薬(25mg, 50mgあり)50mgを術前にもらい、途中でもう1回要求するとよい。

2.腰痛のためのベッド用マット
腰痛がある人は病室および手術台ともに固めのマットを頼む。但し手術台のほうは前日までに手配要。

3. 服薬量の減少
両側視床下核DBSの場合は、普通服薬量は手術前に比べて大きく減らせるようですが、私の場合メネシット5錠ペルマックス6錠が、術後はメネシットが2錠、ペルマックス8錠になりジスキネジアが全くなくなりました。(結果的に、主治医が言ったように視床下核を選んで大正解でした。) 
パーキンソン病憲章に「自らこの病気の管理に参加する権利を有する」とあり、F病院の患者の権利章典にも「治療方法などを自らの意思で選択する権利がある」ということの実践だと思っています。

同じようにジスキネジアに悩まされ、それ以上に無動に苦しんでいる患者さんから「私も同じ頃の手術になります。きっと関根さんも今ごろ同じ気持ちでいるのでしょう」という伝言があり、とても心強く思いました。

手術の会議(患者、神経内科医、外科医からなる)に数度出席し、また日常生活を見てもらっているうち内科医だけでなく脳外科医も「本人が希望する視床下核をやるほうがよいようだ」と方向が変わってきました。

4.インドの漢方薬(そら豆の粉)
私が友の会事務局で活動し始めたころ、米国パーキンソン病財団の会報に「この漢方にはドーパミンを含んでいるが、その他に何かパーキンソン病に有効な成分があるらしい」との記事を読みました。
その後患者を通して実物を手に入れ試飲したところ、メネシットと比べ即効性があり薬効時間は長く効果も大きくて精神的にもスッキリとするものでした。その後私はこの薬の輸出先をさがし個人で輸入していました。
入院後にY医師に経緯を話すと 「では手術までは漢方主体でもいいですよ」と言われました。初めは半信半疑だった医師たちも漢方の力を認めざるを得なくなりました。その成分分析のため手術の前後2回、採血し(漢方約9g服用後)分析した結果、ドーパミンの血中濃度はメネシットの4〜5錠分に相当したのです。効果が強力な理由はドーパミンを含んでいるのだから当然で、医師たちは含有薬力に驚いていました。
4年前にオランダに行った時、参加していた女性患者が麻薬をやっていたと後から知らされ、患者に見えなかった理由が分りました。
それから2年前にロンドンでは、麻薬(エクスタシー)を服用した患者の全く動けなかった青年が鉄棒の大車輪をしているビデオを見ました。
私はインドの薬にも一種の麻薬成分が入っていると思っています。

一回目の手術直後から翌々日午前中までは身体の動きもよく精神的にもスッキリとしていました。
その後、漢方もメネシットもなく刺激をまだしていない状態の2日間が最も辛い、麻薬の禁断症状のような時期でした。このインドの薬は「1日3回を目安に服用するように」という注意書きがあったのに、つい多めに飲んでいたことの報いをこのときほど思い知らされたことはありません。

5.症状を訴えよう
パーキンソン病患者はもっと自分の症状が病気のせいだということを医療関係者に訴えていく必要があります。
手術の前後2週間ほど手術専門病棟に移ったのですが、私の症状(ジスキネジア、ジストニア、無動)を奇異な目で見る医療関係者が多かったことがあります。今までパーキンソン病の患者は入院中、短い期間だからと黙って我慢していたのだと思いますが、医療関係者全体にパーキンソン病の症状を知らせ理解してもらうことは「患者を守る」ことであり、これこそ友の会が取り組んでいくべき務めだと思います。

それから言いたいこと、伝えたいことは時間をかけても話すようにしました。例えば何かを質問されて私が直ぐに答えられない(1種のすくみ現象だと思う)ときは、できるだけ気長に待ってもらいました。
病棟をかわるときには看護士から「おかげでパーキンソン病のさまざまな症状がわかるようになってきた」とか「一度、症状全般について講義をしてもらいたいね」と言われるようになったのです。
短い期間だからと我慢するのではなく、これは病気の症状なのだとはっきり説明することが、入院生活を居心地よくし将来入院してくるパーキンソン病患者のためにもなるのです。

6.手術費用
手術の費用は特定疾患の認定患者であれば、自己負担は14,000円/月だけです。DBSの機器は胸の発信器が160万、患者用のリモコンが7万(紛失したら本人負担、故障のときはメーカー側負担)になるそうです。

◆ 最後に
パーキンソン病患者がだんだん痩せてくるのは、じっとしていても体が緊張しているのでエネルギーを消耗するからだといいますが、退院してから体重が9キロも増えてしまいました。私の場合、ジスキネジアがいかに体力を消耗させていたかを痛感しました。今は努力の結果2キロ減量に成功。
ジスキネジアとジストニアがなくなり、手の指もまっすぐ伸びて開くようになりました。歩行能力は落ちるときもありますが、DBSを受けてよかったと思っています。

2003.07.03 関根宏美

DBS専用掲示板へ
感想をお聞かせください


Apple Homeへ