2003.07.01更新

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私の脳深部刺激治療体験記 by C.K.

1.定位脳手術を受ける前の私
 妄想、幻聴、不眠がひどくなり京都の国立療養所宇多野病院に入院したのは平成14年の10月16日のことでした。パーキンソン病の治療と妄想、幻聴、不眠の治療が同時に進められました。パーキンソン病のお薬が徐々に減らされ、代わりに精神薬が投与されました。パーキンソン病の薬がゼロになった時、左手の固縮、左足のひきずり、長い距離が歩けない、便秘、左半身の硬直、思うように字が書けない、麺類が食べにくい、よだれがでる、転倒する、などの症状が次々に表れ、急激にパーキンソン病が悪化したように思えたので大変ショックでした。妄想、幻聴を治療するため、精神薬のコンスタン、ジプレキサ、ベゲタミンの投与を続けた結果、妄想、幻聴は消えました。しかし、パーキンソン病のお薬と精神薬が同時に脳に投与された結果、両者が脳の中でけんかをし、パーキンソン病のお薬が負け、パーキンソン病の症状は悪くなってしまいました。入院時は体は元気で少々足は引きずっていましたが風呂にもトイレにも一人で行くことができたのに、退院前は介護風呂となり、ボタンすら一人でかけることができなくなっていました。シャツ一枚着るのにも左腕が思うように動かず看護師さんの手をお借りする始末。トイレに行ってもパンツを自分の手の力であげることができず付き添ってくれていた母に手伝ってもらうしまう始末。11月最後の木曜日の回診の時、久野貞子先生に定位脳手術という治療法があると聞き、最終的な手段としてそちらの治療法に踏み切ることにしました。

 パーキンソン病のお薬のネオドパストンが効いて字をなんとか書くことができたのは12月13日に退院した後のことでした。自宅に戻って数日後、教え子から綺麗な文字で書かれた手紙が届きました。最初はパソコンのワードを使って返事を書きましたが、2回目からは自分で字を書くことができました。奇跡だと思いました。

その時、退院する前、久野先生が「字も書けるようになるだろう。」とおっしゃられたことを思い出しました。11月18日から投与を始めたネオドパストンがやっと効いてきたのだと思いました。

 定位脳手術を担当してくださることになった京都きづ川病院の武内重二先生にも最初はパソコンを使って親友宅からメールを出しましたが3回目からは文字を書くことができるようになったことをお知らせしたくて手書きで3回お手紙を書かせていただきました。先生からすぐにメールで返事が来ました。返事の最後には「またご質問ください。」とか「心配なことがあればなんでもご連絡ください。」と書かれてあり、心理的にとても助けられ、武内先生の助言に従い、精神薬も徐々に減らして安心して自宅療養できました。若年性のパーキンソン病患者であるということと遠方に住んでいるということで先生にはいろいろと配慮していただいたと思います。

2.定位脳手術について
 手術の前に定位脳手術について詳しい説明を受けました。納得した私と母は手術の同意書にサインしました。手術の為、部分剃毛か全部剃毛か選択できましたが、手術の効率と衛生面を考えて丸坊主になることにしました。いよいよ手術の為、看護師さんが髪を剃る時がきましたが、私の心の中には何の悲壮感も漂っていません。「手術して良くなるのだ!これで職場復帰が出来るのだ!」と心の中で叫び全く乙女心(?)は痛みません。外見にこだわってはいられないのは、この病気になり、思い知らされています。坊主になった私を見て母は「男子高校生みたいだ!」と言って笑いました。私も「いよいよここまできたか!」と思いました。

 さて、手術の前に私の症状を確認された主治医の武内先生は淡蒼球という神経核(神経細胞の集団)にターゲットをしぼって電極を頭にいれられました。2月14日のことです。2月26日に今度は電池を胸にいれました。前者は局所麻酔でしたので、手術中も意識があり、手術してくださった武内先生、高家先生、藤井先生、看護師さんとも会話ができる状態でした。手術中に私が自宅からもってきたお気に入りのCDを流してくださったり、何回も母に買ってきてもらったポカリスエットを担当の看護師さんが飲ませてくださったり、足を暖めてくださったり、私をリラックスさせるために実に親切で配慮が行き届いていました。

 それでも正直なところ手術の最初と最後がとても痛かったです。それは頭の枠の取り付け、麻酔の注射、枠の取り外しがあったからです。それからドリルで頭蓋骨に穴をあける音にも参りました。手術の途中で「痛いです!」と言うと「わかっています。」と落ち着いた綺麗な声が返ってきました。私の目にはテープが貼られ、顔には布がかけられています。手術中は「これで良くなるのだ!」と単純にそれだけしか考えていません。武内先生を信頼していたので何の恐怖もありませんでした。手術後「痛かったです。単純に手術を考えていました。」と言うと、「ごめんね。」と先生が応えられました。なんとおやさしい先生なのだろうかと感激しました。

 後者は全身麻酔だったので、手術室にはいり、陽気な英語の歌を聞きながら看護師さんと少し会話をしたことは覚えていますが、気がつくと手術は終わり自分の病室のベッドに寝ていました。酸素マスクをかけられているのが苦しくてそれを看護師さんに訴えるとすぐに先生の指示が出てはずしてくださいました。しかしせきこみながら吐きました。母が吐いたものをしっかりふきとってくれたことを覚えています。本当に気丈な母だと思いました。この病気になって親の有難味を日々噛み締めています。

3.手術後の病院での療養生活
 点滴がそれぞれの手術後1週間ありました。手術後はリハビリテーションに励みました。転倒を防ぐための防御訓練、左右交互に手足を曲げたり伸ばしたりする運動、バーを両手で交互に掴む訓練、意識して両手を大きく振りながら前後、左右に歩く訓練などがありました。電圧を2.8ボルトに上げてから嘘のように便秘が治りました。3.2ボルトに上げてから発病して4年間自然に振れなかった左腕を振って歩くことができるようになりました。有頂天になってしまいました。もちろんパーキンソン病の薬の副作用で出ていた妄想、幻聴もきづ川病院に入院する前からありません。手術して足が軽くなり歩きやすくなりました。速く歩くこともできますし、走ることだってできます。電圧を3.5ボルトに上げていただき、お薬もネオドパストン2錠とカバサール1錠に落ち着き、入院して2ヵ月後の4月10日に満開になった桜に見送られて退院しました。3月3日の誕生日を病院で迎えた私は41歳になっていました。

4.自宅に戻って思うこと
 電気や磁気に対して神経質になり、携帯電話を使うのも恐くて解約しました。ドキドキしながら買い物にも行っています。探知装置や目には見えない磁力線が気になって落ち着いて買い物もできません。電極と電池のはいった体に慣れるにはしばらく時間がかかりそうです。文明の利器がこれほどまでに自分を悩ますとは想像していませんでした。電柱を見てもドキドキします。居間のヘルストロンを見てもドキドキします。自然に触れ合う時間が一番安心です。

 この3年間一緒に散歩していた74歳の父は私がものすごく元気に歩いているのを見て驚いています。

「歩くのが速くなったなー!」と後ろから叫ぶ父と愛犬を振り向いて私は見ています。

 料理も時間はかかりますが75歳の母に代わってやれるようになりました。

 パソコンのキーも左手はゆっくりしか動きませんが、両手を使って打てるようになりました。宇多野病院に入院する前、左手の小指でキーを打つことができなかったのですが、今ではそれもゆっくりですが、できます。

 武内先生が12月12日の初めての診察の時おっしゃった 「残念ですが今の状態では職場復帰はできません。でも、手術をしたらできます。」という言葉は本当でした。今の体と精神状態をきちんと自己管理し、電池のはいった自分自身の体に慣れ、リハビリテーションに励めば、職場復帰の夢も叶うだろうと思っています。手術によって新しくできた神経回路をフルに使って、脳に良いことをたくさんしていこうと思います。この手術をして楽観的にこの病気とつきあえるようになったのは大きな収穫だと思います。

 主治医の武内先生には本当に感謝の気持ちで一杯です。パーキンソン病になってはじめて「この病気は治る。」ということを教えてくださったお医者様です。手術して病気はもちろん根治されたわけではありませんがパーキンソン病のつらい症状が本当によくなりました。「この病気は将来きっと根治できる!」、という希望を与えてくださった武内重二先生に感謝を込めてこのレポートを締めくくりたいと思います。
 平成15年5月15日記す

追記  今、3.5ボルトの電気が自分の体の中を流れています。これがどういうものかということは、手術前の私には想像が及ばないことでした。体が痛くても電気治療をいっさい受けることはできません。日常生活の中で注意しなければいけないことも多いです。これから手術を受ける人には手術後のデメリットも考慮した上で選択することをお勧めします。私に関して言えばデメリット以上にメリットが多いので、手術を受けて本当に良かったと思っています。
C.K.

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