若年性パーキンソン病29年間の思いを告白    by まりおねっと

私は、大分県にすんでいます。
今年で41歳になります。
今日こうしてお話しする機会を頂きましたが、思い返してみますとたぶん12歳の時から、こころのおくのほうで、この病気のことを知ってもらいたいという思いを重ねてきたような気がします。 では、12歳の頃から、今までの私の病気の向かい方、私の気持ちの持ち方、行動のことからお話しします。

昭和46年10月11日生まれ

小学5年までは何の不安もなく過ごしてきました。
12歳といえばいろんな事に夢を抱く年頃です。
しかし私は、その頃から体の不調を自分で感じ始めたていました。
初めて違和感を感じたのが、小学6年の冬のマラソン大会のゴール直前だったと記憶しています。
右足の指が内側に曲がり込んで走りにくく初めて起こったこに「なんだ?なんだ?」という不安を感じました。
それからは、遠足の時長時間歩くと右足首から内側に曲がりこむことが起こるようになりました。
そのことは、親にも知られてはいけないと思い込んでいたので隠すことばかりに気を使っていました。
それは、幼いながらにも親に心配をかけてはいけないと思ったのです。
この頃から、生きていくなかでチャレンジしない自分になり始めたのでした。

しかし、そのような自分でしたが心のどこかに生きていてよかったという日が来るかもしれないと思い続けていました。
中学時代はこの体調の事を知られたくなかったので、なるべく人と関わることを避けて生活していました。
親に相談することもなく、病院に受診することもありませんでした。

その後高校へ進学しました。
この高校入学を機に自分の考え方を変えられるかもと考えました。
しかし、体の不調は続きそのせいにしてできることからも逃げてばかりでチャレンジさえしなかった自分でした。それでも何かわからない病魔にむしばまれている不安がありました。
その時は、病名はわからなくても「それに負けてたまるか」と、私なりに考えていたように記憶しています。
まだこの時期は病名がわかっていなかったので、薬は飲んでいませんでした。その後高校を卒業して就職することとなり、就職先へ診断書を提出しないといけなかったので
近くの病院へ行き診察してもらいました。

その時に、初めて病名がつきました。「突発性振動病」というものでした。
自分では「私は、この病気ではない」と思ったので、受け入れられませんでした。
薬を飲むことが許せなかったからです。薬を飲むことが許せないということは
この状態の自分を受け入れていなかったのです。
体の不調の始まりと同時に生き辛さをいつも感じていました。
何もかも、この不調のせいにして逃げていました。
思いっきり体を動かして思いのままに運動をしたりすることができないことが一番辛かったです。
高校卒業後、就職で三重県へ上京
3年間勤めて、働きながら保育士の資格をとって大分県へ帰ってきて、その後のに車の免許を取得してから
大分医科大学へ検査入院しました。
その時が21歳でした。
やっと本当の病名がつきました。
「若年性パーキンソン二ズム」でした。
それから、薬での治療が始まりました。
その時は、薬を飲んだらパーキンソン病が治ったのかと思うほど薬がよく効いていて、以前の私に戻ったように動け、更に働くこともできました。一気に青春?がきたようでした。
その後、3年間はガソリンスタンド働くことができました。
そして、25歳に結婚。26歳に出産。39歳に離婚。

今41歳。やりたいことがあります。

・今動けるときに同病者の交流の場をつくりたい。

・私のこの病歴のことを発信していきたい。

・人のためにできる何かを自分で見つけて続けていきたい。

この病気だからこそできることがあるのではないでしょうか?
きれい事と思うかもしれませんが、
私はこの病気のおかげで色々な経験をさせてもらっています。
この病気を恥ずかしいと思っていた頃の私はいません 。
歩行障害は、症状。
ジスキネジアも、症状。

だって、私は若年性パーキンソン病なのです。
12歳の時には、人生を諦めていました。
でも去年の年末に姉からいわれた言葉があります。
「もういい加減病気のこと受け入れたらどうなん?」
私は、その言葉を聞いてもったいない時間を過ごしてきたことに気づかされました。
でも、姉が言うには「あんたにはこれだけの時間が必要やったんよ」ということでした。
その言葉で、やっと受け入れていこうという覚悟ができました。
心が前向き、心元気になれば少しずつ
私の場合ですが、今まで回らなかった頭もまわる。「考えられるようになりました」
その後からは少しずつ行動もできるようになり、自信と度胸もつきました。

今は、薬のおかげで昼間が動ける体にしてもらっています。
このことは、平成24年2月1日から長崎県の長崎北病院へ薬の微調整とリハビリを目的として、
5月21日までの111日間の入院生活で、薬の飲み方の大切さと、リハビリの大切さを学んできました。筋トレ、ストレッチは大事ですね。
入院生活では、薬の効いていない時のオフの状態で初めて大勢の人の中にいられたことで
「オフでも恥ずかしくない。自分自身が病気のことを恥じている」事がわかりました。

この病気は個人個人で症状が違います。
でも、諦めたりしたら症状は進むばかりではないでしょうか?
これは、私の経験からの意見です。まずは、今自分にできていることを続けるようにしていった方がよいと思います。
無理をせずに、できないことは手伝ってもらう。動けないときには、声を発して助けてもらう。

私の場合は、本当に心前向きに、心元気にそれと自分の気持ちを人に伝えていくこと。
内にこもるのではなく、可能であれば外へ目的を持って出ること。
それがこの病気の今の状態を少しでも維持していく一つの方法だと、私は思います。
また、可能であれば、筋トレ、ストレッチを取り入れて続けていくことも大事なことです。

諦めないで、頑張りすぎないでマイペースでいくだけです。
この体験文を話せている今は前を向いて明るい私になれたということ。
やっとこうやって、自分の病歴について話せるようになれたのは
関わっていただいた方々のお陰です。

Apple カフェへリンク 感想をお聞かせください読者の広場医療関係 | 2013.05月★file作成:raisin